プロフィール

By admin On 7月 30th, 2008

 僕が初めて、馬券を買ったのは平成2年のオークスの日だった。晴天で薫風そよぐ東京府中の競馬場に足を踏み入れ、馬券を買い、直接レースを観戦したのを覚えている。まあ、結果の方はビギナーズラックもなく箸にも棒にもかからなかったのだが、この日を境に勝っても、そしてその倍以上に負けてもどんどんと競馬にハマり込んでしまった。まあ、お決まりのパターンってやつだ。競馬をやる前からそうなるんじゃないかという結論めいた予感はあったと思う。ギャンブルっていうのは好きな人間にとって性癖に近いものがある。勝っても負けても、いや負けるほどに熱くなり、何が何でも勝ってやろうと研究しまくり、とことん突き進んでしまう。一筋の光明に導かれた大勝ちの体験も、結局は堂々巡りの末に負けてしまうのだが、それでも懲りずに止めれない、そんな魔力を持っている。大げさに言うとギャンブルとは人生の縮図。人間としての本質を揺さぶられるものだと思う。

 当時JR中央線の三鷹駅近くに住んでいて、東京競馬場に行くには割と近かったが、その日までは全く競馬をやらなかった。興味がないというより、それはやらないつもりでいた。決意にも似た信条だった。先にあげた事例の通り、自分がいかにギャンブルにハマり易いかそれまで経験したパチンコや麻雀っといった類いのギャンブルをもって自ら知っていたので、青天井の競馬や競輪や競艇には危険すぎると近づかないようにしていたのだ。
 だから、「オークスっていう競馬レースを見に行こう。女の子はその日入場料タダなの」って、社会人になりたての僕に、当時住んでいたマンションの二軒隣に富山の田舎から越してきた、これまた女子大生になりたてのえみちゃんがハニカミがちに僕を誘われなければ、今でも競馬をやっていないかも知れない。彼女の表情、誘い文句ひとつで先の信条など軽く吹き飛ばされたのだ。 (当時は二十歳以上でも学生は馬券を購入できなかった。因みに、当時えみちゃんは、未成年だった)ただ、きっかけは引鉄でしかなく、継続こそが本質であるのは間違いないが・・・

 かくにも、その日から数えて現在に至るまでJRAにつぎ込んだ金額は、少なく見積もっても五千万円は下らないだろうと思う。二歩進んで三歩下がるの繰り返しをずっと続けてきたような感覚だ。他人が編み出した必勝法も散々試した口である。
 馬券必勝雑誌の先駆けである「競馬最強の法則」を毎月購読し、奥村氏の「バージョン8」や伊藤氏の「単コロ革命」に感銘を受け、はてまた、今でもメジャーな「西田式スピード指数」に一瞬必勝の幻想を抱き、最後には霧散しつくしてきたものだ。おそらくこの部分については幾人もの馬券ファンが同じような体験を持っているだろうと想像する。
 『優駿』を筆した文豪、宮本輝氏はそのエッセイの中で、自身、競馬にハマった体験を語り、馬券から足を洗った理由を “結局、馬の気持ちは分からない”と締めくくっているが、同種の感覚を共有しながらも、未だに競馬(=馬券購入)を引きずり続けている僕の理由は“馬の気持ちなど関係なく、必勝法は存在する”もしくは“必勝法は存在するべきだ”という根拠なき一念だけである。中世の錬金術師の如くニコラス・フラメルになるべく夢想を、人生半端過ぎの今でも真剣に語っているようなものだと気付いてはいる。

 積りに積もった過去の負債を吐露したことで、このサイトの有益性を完全否定しているかのように思われるかもしれないが、僕が今立つ場所はそれ程的外れではないとも思っている。それは、長い目で見ていただければ、理解していただけるとも考えている。
 そして願わくば、多くの馬券探究者がこのサイトに訪れ、競馬に於ける真実の一欠けらを共有できるならば、この上なく喜ばしく、素敵なことだと思う今日この頃である。